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色々思ったやつを書くところにする予定

徒然なるままに(以下略)なる予定ですが、多分出来ません。

高田保著作集を買いました

 昨日の朝、アマゾンにて購入しました本が今日の朝に届きました。別にお急ぎ便にを使ったわけではありませんがこんなに早く来ると驚きますね。

これがその本です、まだ読んでいませんがもう包は剥がして少しペラペラとしました。

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 なんと初版で、しかも売上カードがまだ残っていました。おそらくこの本は消費者には初めて僕手に収まったようです。前に読んだ人がいるとしてもよっぽど丁寧に扱ったんでしょうね、売ることを前提にしていたのかもしれません。

 そもそも皆さんは高田保という人をご存知でしょうか? 名前だけ知っているという地域の人もいるかもしれません。それは何故かと言うと、この人の名前を冠した公園が湘南の奥地に存在するのです。名前はそのまま高田保公園、お墓もそこにあります。そして、そこにあるであろう立て札にはこう書いてあります。海の色は日ざしで変わる

 どうですかこの文言、初めて目にしたときには笑いそうになりました、フフっっていうオタク笑いです。ともかく高田保という人はこういう人だということです。この人は劇作家、また戦後は随筆家として一部界隈では有名だったそうです。あまり全国的有名人と言う訳ではありませんでした。そうであればその知名度は徳川夢声並だったはずです。どちらにせよ今の子にはわかりませんね、僕も知りませんでした、古書店に行ってみて初めて買った古本がこの人だったと言うだけです。

 僕が初めて買った高田保の本が吾輩も猫である、です。これは猫、という題で新大阪という雑誌? に掲載されたものです。作者が逝去し、これを刊行せんと言うときに絵師の人らが勝手にそういう題にしてしまったそうです、本にはそう書いてありました。この吾輩も猫であると言うのは漱石のように平常の鬱憤を猫として晴らすのではなく、猫として終戦間もない日本社会を観察するというものです。感想はとくに書きません、しかし読んでいてフムンとなったということだけ。

 吾輩も猫であるは後半がエッセイ集になっていてそれがまた僕を惹きつけました。そのせいでその古書店に数度行き、幾つかのエッセイ集を買いました。高田保はのエッセイはどこか冷めていて、しかし情があり、そして何より例えの引き出しが膨大です。すぐに、○○には、○○といへば、こういふことがある、あった、と言って故事やらを出してきます、しかもそれは東洋に限らない。含蓄に富んだ人と言うのは当にこういう人だと言う気分になります。またその過程で僕はこの人が劇作家と知りました。そして、どんな話を書いていたかを知るには高田保著作集を買うしかないとなったわけです。

 それが今回これを買うに至った経緯ですが、感想が出るようなことがあればまた何か書きます。

 

ちなみに今までの文章は高田保っぽさが出るように書いたのですが、出ていたでしょうか……