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色々思ったやつを書くところにする予定

徒然なるままに(以下略)なる予定ですが、多分出来ません。

理想的な態度

 アイドルだとかゲーム運営だとか公式ツイッターアカウントだとかには、身近にいるような錯覚を起こしてしまったり、逆に遠くにいることを自覚させられたりする、とにかく今日には多種多様な「公式」がいる。これについての話である。

 「公式」は消費者らにひたすらに有料無料の様々な何かしらを提供している。そして消費者らは「公式」に何を抱くのだろうか、親近感か、敬意かまたは畏怖の念か(どうでもいいけどgoogleIMEは○○かのかを化に変換するのやめて)まあ様々である。「公式」は基本生産者なら誰でもなれる、だから大手同人家とかも「公式」であると思う。ちょっと前まで「公式」は天啓のごとく消費者らに情報を提示してきた、それは雑誌、cm、HPと色々あったが基本は一方的なものであった。しかし今は違う、ツイッターが登場しこの辺の様相は変わりつつある。ツイッターではその「公式」と話せる可能性が出てきたからである。

 「公式」と言葉をかわすなど昔ではあり得ない、そんなものは奇跡かなにかであった、しかし今はその可能性が格段に上がっている。仰ぎ見るだけだった「公式」という存在はかなり身近になっている。僕はこれをとても危ういと思っている。良いこと尽くめなんだろうがなんというか危うい。

 「公式」には威厳が必要である、それは僕が「公式」に常々求めてしまっていることである。少なくとも僕はありのままの「公式」を求めている、色々なニーズに合わせて様相を替えたりするのは結構であるが、それでも芯が残っているとありがたい、漠然としていて大いに勝手であるが。そういうことと消費者らに絆されてしまうことはちょっと違うんじゃないだろうか、だらだらと消費者らと馴れ合いを始めてしまったら終わりである(この考えには多少の嫉妬が混じっていると確信している)。現に言葉をかわさなくても変に消費者に近づいた感じを出して、逆に冷めさしてしまう「公式」も度々見る。

 この辺の線引は難しいものである、そう思うのは僕がコミュ障だからかも知れないが。だから安易にツイッターアカウントを作って馴れ合おうとする「公式」が、自分の好きな「公式」から現れるのではないかと、僕はいつも内心冷や汗をかいている。そして消費者らと話しつつも常に凛としていて自分を見失わない、同じ目線のようで見下ろしている、そんないじらしさを僕は「公式」に求めてしまうのである。

 

 

 

 大変読み辛いでしょうが、読んでいただけたら光栄です。