色々思ったやつを書くところにする予定

徒然なるままに(以下略)なる予定ですが、多分出来ません。

5、6時間前の話

 マストドンで、そこの知り合いと喋っていた。その人の愚痴をそれ形であるが、そこで気づきたくもない感情に気づいた。その人が愚痴を話す、僕はそれを読み、簡単な応答をする、しかし応答なんて同意の意図が伝わればいいぐらいの、簡単なもので良いのに、ここには僕の意思が多分に含まれていた。喋ってるんだから意思が含まれているのは当たり前だろうというのは、当たり前の話だが、これはそういう同意の意思ではなく、僕の意見のことである。僕は同意するつもりの中で、意見を更に付け加えていたのである。

 これはなぜか、それは恐らく関わりたいのだろう、そして関わりたかったのはその人ではなく、その人の事情にである。自分の経験にないようなことの事情に関わってみたいのだ、スポーツとかで届かない指示を出しているファンと同じ心理だろう。自分の案は有用であるから、検討しなさい、と。自分もその状況の一分になりたい、そして、自分の案で成功に向かって欲しい、と。

 結局、相手のためでも何でもなく、自分のためだろう。唯識仏教では、末那識という物がある。これは、簡単に言えば、いつでも自惚れている心のことである。唯識の定めるところに、人の心の源泉である阿頼耶識はこの末那識に作用を受けているという。人は潜在的に我欲に動くものと、実質的に言われている。

 きっとこれのせいだろう、いや、これを発端としているだけで、それを制御できていない自分がいるのだ、自分の欲求に気づけずに欲求を発しているのだ。

 これを機に少しは自重していけるようになりたい、自分の欲求くらい自分の意志から出したいものである。

 

 

優先席

 先月に自転車を買った、ARAYAのFEDERALの今年モデルである、これを使って最近は自宅から駅までの道のりを行き来している。ちょっとした運動にもなって良い気分である、しかし今日という日は雨であった。自宅で過ごす分には雨というのは心地よい音でちょっとしたASMRである。それでも平日である今日は雨の中家を出なければならないので、仕方なくバスを使った。

 その帰り道、満員のバスに揺られながらマストドンに勤しんでいたのだが、家まであと半分というところで比較的空いてきた。席も多少空き始めたのだがそこは優先席である、誰か座るべき人がいるだろうと思って周りを少々見回すのだが、誰も彼も座ろうという意思が感じられない。僕から見たら一席空いてて隣がよく伺えなかったが、よく見るとサラリーマンが鞄を置いている、誰も座らないというなら「ぢゃ、僕が」という具合にカバンを抱えながら座った。次の停留所でそのサラリーは降りていき、少しして本でも読もうかと思えば、サラリーと入れ替わりにリュックの部活帰りの高校生が空きの優先席の前に来た。リュックが邪魔でこれでは本どころではないと渋々断念して、改めて優先席を見てみると、僕以外は誰も座っていない。

 いくら空いたと言ってもまだ立っている人は多い、なぜ誰も座らないのか、これは簡単な理由で、席を譲るのが面倒だからである、僕もよく分かる。しかし譲るべき人は見たところ誰も居ないので僕は座った、だがこれではまるで異端者のようではないか。この譲るのが面倒だから座らない、と言うのは合理的で、楽ちんな上に無駄な会釈もなく席の必要な人を優先席へ座らせられることもできる。単純明快な話である。しかしこんなことでも形骸化していると言わざるをえない、烏合の衆は優先席は座らないものという認識でいる。もはやそうとしか考えられない、そうでなければ空いた優先席の前に立ち尽くす者などいるはずはない。彼は体幹を鍛えているつもりだったのだろうか、だとしたら場違いである、他の場所でやりなさい。あのリーマンは鞄を椅子に置いてさぞかし楽だったろう、貴様が座りながら鞄を持てばもう少し通り道がスッキリしたに違いない。

 なにやら文句が多くて口うるさい人にしか見えなくなってしまった。それでも、あまりにも僕には見通せない深遠なる考えの持ち主が一堂に会していた処に出くわして、僕は感極まったのである。嬉しさのあまり駄文も書いてしまう。

またふたたびマストドン

 最近マストドンから抜け出せない、なのでもう少し思案をめぐらしてみることにした。

 前回マストドン、特にjpサーバーはツイッターに対するSNSと言ったが、少し前に名前を思いついたのでこれからはこれを第二SNS説と呼ぶことにする。このことを踏まえての話だが、そもそも日本におけるインターネットは現実社会などでは到底出来ないような話題がもっぱらである。また日本においてのツイッターの扱いもまたそのような場所である。

 しかしそんななんでも話題にできるようなツイッターにも窮屈に感じる人々が出てきた。そもそも普段、下世話な話題を出せない理由とはなにか、それは自身を取り巻く社会の多様化を感じることで、思わぬ発言が意図しない集団に悪印象を与えたりるかかも知れない、などの危機感が自ずと湧いてくるからである。それがツイッターで機能し始めている、しかしドマイナー性癖の話をしている人は散見する、その人らはまた例外だろう。

 おそらくツイッター上では下世話の度合いがインフレを起こしている、少なくともロリコンがよくある性癖として認知されているのは明らかにおかしいだろう。つまり下世話な話題が下世話ではなくなっているのだ。しかしそんな現在でも、そりゃぁないぜとなる話題がなくなるわけではない。ぢゃあそれをどこで話すか、それがmstdn.jpであろう。昔ならツイッターの過程がそもそもなく2chへ直行だったのだが、今は違う。

 まさにネットは沈殿池である。現実で話せないような話題はツイッターへ、ツイッターでも話せないような話題はここに集約してしまう、重い話題は表面に浮かび上がることはなくひたすら池の奥底へと沈んでいくのだ。

 しかし、人の心は自然の真理の囚われ続けることはない、その中には浮力に逆らって自ら潜り込んで来るような者や、重い体を忙しなく動かし水面へ向かうものも出てくるだろう、それらをどう思うかは諸君らの勝手である。

 

 

 

 

ふたたびマストドン

 最近ツイッターが疎かになっている気がする。僕はツイッターで生きているのでこれはまさに異常事態である。なぜツイッターが疎かになっているかというと、それはつまりマストドンである。一体何がそんなにも僕をマストドン、とりわけjpサーバーにとどまらせるだろうかと少し思案してみた。

 マストドンについては前回ざっくりとだけ書いたので省くが、如何にマストドンが僕を、それだけでなく多くの人々(全体人数8万人、アクティブ平均800人以上)を魅了しているのかが問題である。

 マストドンの魅力として誰も彼も口をそろえて言うのが、他のSNSにはない開放感、であるがこれは正しいと思う、某氏はこれを踏まえてマストドンを「瀬戸内海とかカリブ海みたいな「群島」」と称していたが、これに文句をつけるなら瀬戸内海カリブ海ではなく現代のガラパゴス、と言う方が適切だろうと言いたい。

 つまりその島々の文化の一つがあまりにも我々の性に合っているから我々はやめられないのである。といってみたものの、これだけなら誰でもわかることであり、別に140字のツイートにまとめられる内容である。僕が本当に言いたいのはもう少し人間的な話である。

 つまるところ、我々はまたもや人間関係に疲れてしまっているのである、そんな気がなくてもマストドンにハマっているならそうに違いなかろう。フェイスブックやインスタグラムなどのそもそもがマウンティングレスリングの場と違い、ツイッターは現実社会にとても密接に離れている。常に現実社会の裏として、不満のはけ口として、現実社会では決して認められない文化を持つ人々がツイッターに落ち込んでいた。そこで同好の士を見つけたり、話したりと、人間関係を築いていったのである。

 しかし、彼らはその関係を作りすぎてしまったのだ。各々の界隈は小さくとも、その界隈が他の界隈と繋がったりなど、現実社会の様相に近づいていたのである。それを我々は窮屈に感じてしまっているのだ。

 それを踏まえて、我々が熱中する理由としてもう一つある、それは疎外感のなさである。愚かしいことと大抵の人は思うだろうが、では大抵でない人はどうだろうか、諸君も心当たりがまったくないということもなかろう。あの人があの人と喋っている、楽しくしている、リプを送ったりするが塩対応。嫉妬にも似たこの感情はまさに独りよがりの疎外感である、共有するのもはばかられる暗黒のものである。

 某氏はこうも言っていた、「マストドンは発展途上だから面白い」と。これの何が発展途上なのかといえば、これがまさに人間関係なのである。誰とでも気さくに話せる、フォロー比率など関係なく誰もが平等というこの瞬間が面白い、というよりこの瞬間に飢えていたのである。これは大学デビューなどの感覚に近いだろう、今までを置き去りにして自分に都合の良い今を探し求めているのだ。

 なので、現実社会に対しツイッターがあるとすれば、jpサーバーはツイッター(と現実社会)に対して存在するとなるではないか。現実社会でも人間関係は度々シャッフルされる、さっき言った大学デビューや入社など、そこで自身が長らく所属していた界隈からの逃避の機会に好機と見出す者は少なくないだろう、それがネット上で起きているのだ。まっさらな人間関係の場で、理想的な関係を求めて。なんでもtootできると言うのはサーバー選びの段階でしかないだろう。

 以上がマストドンにハマってしまっている僕の理由なのだろうと考えている。僕は別にツイッターが嫌になったわけではないがそういう感情がまったくないといえばそうでもないので、諸君らの中でもこういう者は少なくなかろう。

 だが、ここまで書いて一つ問題が浮かび上がるのだ、それは今後の話である。jpサーバーの人間関係が一定を超えたときどうなるのであろうか、以上のような理由でやっている僕のような人間はやっていけるのだろうか。きっとツイッターに戻るのだけだろうが。

マストドン

 ツイッターは危機を迎えている、と殆どのツイッター利用者が感じている。日本人ツイッタラーは殆どがツイッターに依存していると言って良い。何をするにもツイッター、ゲームの先行登録もツイッター、就活にも社長のツイッターをフォローしなければならなくなってきている。まさに世は大ツイッター時代である。

 しかし殆どの人は前述の通りに一つの時代の終わりを予感していて、多くのツイッタラーは次の移住地を探し始めている、今までいくらかツイッターの成り代わりを目指したものがあったろうがそれらは大して話題にはならなかった。しかし今ではその目的地も定まり始めている。それでマストドンである。

 マストドンツイッターとあまり変わらない、tweetがtootとなっている程度で、決定的に違うものがあるとすれば、自身の所属、ローカルタイムラインと連合タイムラインの存在だろう。まず、自身の所属だが、驚くことにマストドンは個人でそのサーバーを作れる、また好きなサーバーを選べる、そうしてユーザーは自分の性に合う住処を選べるのだ。次にローカルタイムライン、これはその自身の所属しているサーバーのツイート状況を片っ端から表示しているタイムラインである、あまりにも足が速いのでひとつずつ読んでいる暇もない。そして連合タイムラインについてだが、これは自身の所属しているサーバーが組んでいる、即ち連合となっているサーバー同士のローカルタイムラインの集合である。これもまたTLの足が速い、今風に言うならば爆速である。私事であるがこの連合TLのお陰で複数のサーバー登録をせずに済んでいる気がする。しかも正直言ってもともとの知り合いがいないのならこのTLシステムのお陰で0フォローでもやっていけるだろう、絶えないTLはこちらの時間をいくらでも吸い取っていくからだ。まさにポストツイッターの筆頭である、日本規模ではなく世界規模で。

 しかし残念なことに現在日本サーバーは大概の海外サーバーから隔離されている。感が良ければすぐ分かる話だが、つまりエロ画像である、特に児童ポルノ的画像。海を超えた国々ではこれらの規制は厳しく、連合TLでうっかり目に入ったが最後、キャッシュに保存され、その所持を疑われたら逃れることはできないであろう。そうした観点から先んじて日本の特にpixiv運営のpawooサーバーは隔離されている、望まずして鎖国の状態となったのだ。一部喜々として持ち上げているが、僕はこの状態はあまり好ましいとは思えない、ツイッターとの違いとして自身の所属を挙げたが、今我々の所属が隔離されているとなると海の向こうの情報は殆ど限られてくる。あのセクシーなシェフのgifなんかが流れてこなくなるのだ、せめて流れてくるとしたらその動画またはgifをコピーしただけのパクツイならぬパクトゥーだけだろう、実際のところはどうかわからないが。なら海外サーバーにもアカウントを持てばいいじゃないかとなるかもしれないが、そこでやっていける程の強靭な英語能力を持っていないので無理な話である。

 これは世界を一気に縮めたインターネットの本領に反するものだ、しかし考えようによっては住み分けこそが人間の性にあってるのでこういったことは必然なのかもしれない。それでも、これでいいのだろうかと僕は思うのである。彼らからしたら仕方のないことかもしれないが、それでもと思うのである。

 

P.S.

この疑似鎖国状態であるが、全くの嘘八百であるそうだ。よく駄文/\と言っているが、この文は駄文の極みと化してしまった。すみません

どうでもいい話

 結構昔に不忍池を埋め立てて野球場にしようという話があったそうで、賛成反対の5人に別れ公聴会を行ったそう。結果野球場が建ったのかはグーグルアースで見れば分かることであるが、この公聴会は割と面白いものだったらしい。この場での賛成派の一人である石黒敬七と言う人の話なのだが、その人はあんな古い池に愛惜するなど笑うべき懐古趣味であって、だとか何とかを大真面目に言ったそうだ。このまま読んでも一賛成派の意見にしか見えないがこれはとてもユーモラスなことだったらしい。恐らくは普段の主張というか生き方と矛盾したことをワザと言ったことがユーモラスだということだろう。しかし当時はこのユーモアを理解している人は少数で大抵の人は石黒敬七は懐古趣味を排斥し、埋め立てに賛成していると捉えていたそうだ。随筆家高田保は新聞の自身のコラムにこのことを書いて石黒敬七に返信をもらっている。賛成派として来てほしいと頼まれて、来た以上は賛成派としての意見を論じるべきと考えたそうで、そして返信はよき東京にしたいという話でしめられている。しかしこの返信も僕が理解できないだけで皮肉の混じったものかもしれない、あんまり確信に満ちた言い方をすれば恥をかくのでとくに言わない。

 最近の動向を見てこのことを思い出したがいかが。

裏世界ピクニックという本

 

 皆さんは都市伝説と聞いて何を思い出すだろうか、てけてけ、花子さん、ムラサキカガミ、エトセトラエトセトラ。これらはわざと挙げたものだが、もはやこれらは時代遅れと言わねばならない。今の世を席巻する都市伝説といえばくねくねだろう、誰しも一回は読んだことがあるはずであるが、あえて説明するならば見たら負けの類の怪異である。他にも目を引く名前を挙げるならターボババァだろうか。まぁ色々ある

 さて、そんな都市伝説共を題材にしたものがこの裏世界ピクニック~ふたりの怪異探検ファイル~という本である。

https://www.amazon.co.jp/dp/4150312648/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_bB0TybJ77Q7RS 

 

 感がいいというか物好きな人なら某ssを思い出していることだろう、某麻雀アニメのモブ男がWな感じの奴。アレを読めば都市伝説に多少詳しくなれるだろうし、しかもこのssはなかなか面白いので探してみてはいかが。

 話を戻すがこの本はお察しの通りに都市伝説とかち合う話である。しかし僕がこの本を買った理由はそうではなく、表紙の絵を見てもらえば分かる通り女の子が鉄砲を持っている。それだけ。SNSに一瞬上がっていたので即通販でお買い物である。すこしネタバレになるが、僕はあまりホラーを読まないからどの程度かは分からないがこの本はSFホラーでいいと思う。女の子がバンバン鉄砲を撃って都市伝説を退治していく類の話(Tさんみたいな軽快な感じ)かと思っていたかが、さすがハヤカワそうは問屋が卸さない。読んでいく内にううんと唸ってしまう。怖いからじゃない

 

 

 

 

 ここからは完全なネタバレである。

 さてハヤカワと言った以上この本はSFである、僕はSF初心者ではあるが前に読んだ雪風が結構役に立っているのか色々邪推してしまう。

 まずくねくねへの再チャレンジのシーン、アレはまさに妖精の目がいるという話なのだと思う。というか全体的にそうなのではなかろうか。少なくとも、相手方は我々の常識では捉えられず、それなりに相手方を理解する必要があるのだ。

 この巻では彼らが何者で何が目的なのかと言うのがわからない、少なくとも都市伝説は相手方を恐怖した(させられた)人間が勝手に想像したもので、相手方もそれを利用しないと認識を拡大してもらえないのだろうということ、が相手方について分かることである。本体はあまりにも理解不能と書いてあるし

 対話とはいかなくとも意志の一定の疎通、理解というか、少なくとも我々は恐怖でしか相手方とコンタクトを取れないらしい(何人も消えたりしているが)、だから今後鳥子、空魚の手と目は恐怖以外のコンタクト手段になっていくのだろうか……

 

結構甘く読み始めたので度肝を抜かれているのは間違いない。今少し考察を書いてみた通り、なかなか考えがまとまらない、困ったものである。

 

 

恐怖しつくした先に何があるのか、2巻に期待するばかりだ。