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色々思ったやつを書くところにする予定

徒然なるままに(以下略)なる予定ですが、多分出来ません。

ふたたびマストドン

 最近ツイッターが疎かになっている気がする。僕はツイッターで生きているのでこれはまさに異常事態である。なぜツイッターが疎かになっているかというと、それはつまりマストドンである。一体何がそんなにも僕をマストドン、とりわけjpサーバーにとどまらせるだろうかと少し思案してみた。

 マストドンについては前回ざっくりとだけ書いたので省くが、如何にマストドンが僕を、それだけでなく多くの人々(全体人数8万人、アクティブ平均800人以上)を魅了しているのかが問題である。

 マストドンの魅力として誰も彼も口をそろえて言うのが、他のSNSにはない開放感、であるがこれは正しいと思う、某氏はこれを踏まえてマストドンを「瀬戸内海とかカリブ海みたいな「群島」」と称していたが、これに文句をつけるなら瀬戸内海カリブ海ではなく現代のガラパゴス、と言う方が適切だろうと言いたい。

 つまりその島々の文化の一つがあまりにも我々の性に合っているから我々はやめられないのである。といってみたものの、これだけなら誰でもわかることであり、別に140字のツイートにまとめられる内容である。僕が本当に言いたいのはもう少し人間的な話である。

 つまるところ、我々はまたもや人間関係に疲れてしまっているのである、そんな気がなくてもマストドンにハマっているならそうに違いなかろう。フェイスブックやインスタグラムなどのそもそもがマウンティングレスリングの場と違い、ツイッターは現実社会にとても密接に離れている。常に現実社会の裏として、不満のはけ口として、現実社会では決して認められない文化を持つ人々がツイッターに落ち込んでいた。そこで同好の士を見つけたり、話したりと、人間関係を築いていったのである。

 しかし、彼らはその関係を作りすぎてしまったのだ。各々の界隈は小さくとも、その界隈が他の界隈と繋がったりなど、現実社会の様相に近づいていたのである。それを我々は窮屈に感じてしまっているのだ。

 それを踏まえて、我々が熱中する理由としてもう一つある、それは疎外感のなさである。愚かしいことと大抵の人は思うだろうが、では大抵でない人はどうだろうか、諸君も心当たりがまったくないということもなかろう。あの人があの人と喋っている、楽しくしている、リプを送ったりするが塩対応。嫉妬にも似たこの感情はまさに独りよがりの疎外感である、共有するのもはばかられる暗黒のものである。

 某氏はこうも言っていた、「マストドンは発展途上だから面白い」と。これの何が発展途上なのかといえば、これがまさに人間関係なのである。誰とでも気さくに話せる、フォロー比率など関係なく誰もが平等というこの瞬間が面白い、というよりこの瞬間に飢えていたのである。これは大学デビューなどの感覚に近いだろう、今までを置き去りにして自分に都合の良い今を探し求めているのだ。

 なので、現実社会に対しツイッターがあるとすれば、jpサーバーはツイッター(と現実社会)に対して存在するとなるではないか。現実社会でも人間関係は度々シャッフルされる、さっき言った大学デビューや入社など、そこで自身が長らく所属していた界隈からの逃避の機会に好機と見出す者は少なくないだろう、それがネット上で起きているのだ。まっさらな人間関係の場で、理想的な関係を求めて。なんでもtootできると言うのはサーバー選びの段階でしかないだろう。

 以上がマストドンにハマってしまっている僕の理由なのだろうと考えている。僕は別にツイッターが嫌になったわけではないがそういう感情がまったくないといえばそうでもないので、諸君らの中でもこういう者は少なくなかろう。

 だが、ここまで書いて一つ問題が浮かび上がるのだ、それは今後の話である。jpサーバーの人間関係が一定を超えたときどうなるのであろうか、以上のような理由でやっている僕のような人間はやっていけるのだろうか。きっとツイッターに戻るのだけだろうが。

マストドン

 ツイッターは危機を迎えている、と殆どのツイッター利用者が感じている。日本人ツイッタラーは殆どがツイッターに依存していると言って良い。何をするにもツイッター、ゲームの先行登録もツイッター、就活にも社長のツイッターをフォローしなければならなくなってきている。まさに世は大ツイッター時代である。

 しかし殆どの人は前述の通りに一つの時代の終わりを予感していて、多くのツイッタラーは次の移住地を探し始めている、今までいくらかツイッターの成り代わりを目指したものがあったろうがそれらは大して話題にはならなかった。しかし今ではその目的地も定まり始めている。それでマストドンである。

 マストドンツイッターとあまり変わらない、tweetがtootとなっている程度で、決定的に違うものがあるとすれば、自身の所属、ローカルタイムラインと連合タイムラインの存在だろう。まず、自身の所属だが、驚くことにマストドンは個人でそのサーバーを作れる、また好きなサーバーを選べる、そうしてユーザーは自分の性に合う住処を選べるのだ。次にローカルタイムライン、これはその自身の所属しているサーバーのツイート状況を片っ端から表示しているタイムラインである、あまりにも足が速いのでひとつずつ読んでいる暇もない。そして連合タイムラインについてだが、これは自身の所属しているサーバーが組んでいる、即ち連合となっているサーバー同士のローカルタイムラインの集合である。これもまたTLの足が速い、今風に言うならば爆速である。私事であるがこの連合TLのお陰で複数のサーバー登録をせずに済んでいる気がする。しかも正直言ってもともとの知り合いがいないのならこのTLシステムのお陰で0フォローでもやっていけるだろう、絶えないTLはこちらの時間をいくらでも吸い取っていくからだ。まさにポストツイッターの筆頭である、日本規模ではなく世界規模で。

 しかし残念なことに現在日本サーバーは大概の海外サーバーから隔離されている。感が良ければすぐ分かる話だが、つまりエロ画像である、特に児童ポルノ的画像。海を超えた国々ではこれらの規制は厳しく、連合TLでうっかり目に入ったが最後、キャッシュに保存され、その所持を疑われたら逃れることはできないであろう。そうした観点から先んじて日本の特にpixiv運営のpawooサーバーは隔離されている、望まずして鎖国の状態となったのだ。一部喜々として持ち上げているが、僕はこの状態はあまり好ましいとは思えない、ツイッターとの違いとして自身の所属を挙げたが、今我々の所属が隔離されているとなると海の向こうの情報は殆ど限られてくる。あのセクシーなシェフのgifなんかが流れてこなくなるのだ、せめて流れてくるとしたらその動画またはgifをコピーしただけのパクツイならぬパクトゥーだけだろう、実際のところはどうかわからないが。なら海外サーバーにもアカウントを持てばいいじゃないかとなるかもしれないが、そこでやっていける程の強靭な英語能力を持っていないので無理な話である。

 これは世界を一気に縮めたインターネットの本領に反するものだ、しかし考えようによっては住み分けこそが人間の性にあってるのでこういったことは必然なのかもしれない。それでも、これでいいのだろうかと僕は思うのである。彼らからしたら仕方のないことかもしれないが、それでもと思うのである。

どうでもいい話

 結構昔に不忍池を埋め立てて野球場にしようという話があったそうで、賛成反対の5人に別れ公聴会を行ったそう。結果野球場が建ったのかはグーグルアースで見れば分かることであるが、この公聴会は割と面白いものだったらしい。この場での賛成派の一人である石黒敬七と言う人の話なのだが、その人はあんな古い池に愛惜するなど笑うべき懐古趣味であって、だとか何とかを大真面目に言ったそうだ。このまま読んでも一賛成派の意見にしか見えないがこれはとてもユーモラスなことだったらしい。恐らくは普段の主張というか生き方と矛盾したことをワザと言ったことがユーモラスだということだろう。しかし当時はこのユーモアを理解している人は少数で大抵の人は石黒敬七は懐古趣味を排斥し、埋め立てに賛成していると捉えていたそうだ。随筆家高田保は新聞の自身のコラムにこのことを書いて石黒敬七に返信をもらっている。賛成派として来てほしいと頼まれて、来た以上は賛成派としての意見を論じるべきと考えたそうで、そして返信はよき東京にしたいという話でしめられている。しかしこの返信も僕が理解できないだけで皮肉の混じったものかもしれない、あんまり確信に満ちた言い方をすれば恥をかくのでとくに言わない。

 最近の動向を見てこのことを思い出したがいかが。

裏世界ピクニックという本

 

 皆さんは都市伝説と聞いて何を思い出すだろうか、てけてけ、花子さん、ムラサキカガミ、エトセトラエトセトラ。これらはわざと挙げたものだが、もはやこれらは時代遅れと言わねばならない。今の世を席巻する都市伝説といえばくねくねだろう、誰しも一回は読んだことがあるはずであるが、あえて説明するならば見たら負けの類の怪異である。他にも目を引く名前を挙げるならターボババァだろうか。まぁ色々ある

 さて、そんな都市伝説共を題材にしたものがこの裏世界ピクニック~ふたりの怪異探検ファイル~という本である。

https://www.amazon.co.jp/dp/4150312648/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_bB0TybJ77Q7RS 

 

 感がいいというか物好きな人なら某ssを思い出していることだろう、某麻雀アニメのモブ男がWな感じの奴。アレを読めば都市伝説に多少詳しくなれるだろうし、しかもこのssはなかなか面白いので探してみてはいかが。

 話を戻すがこの本はお察しの通りに都市伝説とかち合う話である。しかし僕がこの本を買った理由はそうではなく、表紙の絵を見てもらえば分かる通り女の子が鉄砲を持っている。それだけ。SNSに一瞬上がっていたので即通販でお買い物である。すこしネタバレになるが、僕はあまりホラーを読まないからどの程度かは分からないがこの本はSFホラーでいいと思う。女の子がバンバン鉄砲を撃って都市伝説を退治していく類の話(Tさんみたいな軽快な感じ)かと思っていたかが、さすがハヤカワそうは問屋が卸さない。読んでいく内にううんと唸ってしまう。怖いからじゃない

 

 

 

 

 ここからは完全なネタバレである。

 さてハヤカワと言った以上この本はSFである、僕はSF初心者ではあるが前に読んだ雪風が結構役に立っているのか色々邪推してしまう。

 まずくねくねへの再チャレンジのシーン、アレはまさに妖精の目がいるという話なのだと思う。というか全体的にそうなのではなかろうか。少なくとも、相手方は我々の常識では捉えられず、それなりに相手方を理解する必要があるのだ。

 この巻では彼らが何者で何が目的なのかと言うのがわからない、少なくとも都市伝説は相手方を恐怖した(させられた)人間が勝手に想像したもので、相手方もそれを利用しないと認識を拡大してもらえないのだろうということ、が相手方について分かることである。本体はあまりにも理解不能と書いてあるし

 対話とはいかなくとも意志の一定の疎通、理解というか、少なくとも我々は恐怖でしか相手方とコンタクトを取れないらしい(何人も消えたりしているが)、だから今後鳥子、空魚の手と目は恐怖以外のコンタクト手段になっていくのだろうか……

 

結構甘く読み始めたので度肝を抜かれているのは間違いない。今少し考察を書いてみた通り、なかなか考えがまとまらない、困ったものである。

 

 

恐怖しつくした先に何があるのか、2巻に期待するばかりだ。

現代的耳かき

 耳かき音声というものがある、耳かきボイスともいう。界隈の者ならばピンと来るだろう、あのサークルのが良いだとか、イヤホンとヘッドホンのどちらで聞くべきかなどと話題は尽きないだろう。しかし何のことやらとチンプンカンプンな人も多いだろう、まさに知る人ぞ知るといったところである。知らない人に簡単に説明するならば、耳のVRのようなものである。

 それを前提として、これの歴史であるが。日本最古の耳かき音声は恐らくみみもとラブプラスというラブプラスのCDであると思われる、どんなものかは各自で調べてほしい。添い寝音声もこれを契機にしたものであろう。そして萌音声によるなんらかの疑似体験はサラウンド的編集技術の向上や新しいタイプのマイクの登場などにより、音声作品として多様にどんどんその地位を上げている。というのが現状までの話である。

 そして、その進化の中で声よりも音に重点を置く、というより音のみの音声作品も増えているのは必然であろう。なぜなら既に耳かき音声はともすれば実際の耳かきよりも気持ちいいからである。

 気持ちいい音ということに関しては日本特有の文化という訳にはいかない、海外にはAutonomous Sensory Meridian Response という言葉がある。大抵はこれを縮めてASMRと表記している。2012年ぐらいには既に存在していた概念である。このASMRというのは、音を聞き心地よく感じるという意味である。時雨を聴くのはなにも日本人だけではなかった訳である。

 そしてこれらを調べてる内に思ったのだが、心地良い音、気持ちの良い音、ひいては囁き声にうっとりとするのは万国共通なのではないだろうかということである。この世界には色々な文化がある、文化と文化は相容れないことが多い。しかしASMRというのは既存の文化に邪魔されずに世界をつなげる架け橋になるのではないだろうか。囁き音声は受け付けない人も多いだろう、しかしそれはASMR内の話であってASMR自体を否定することは出来ない。私はASMRに既存の文化をすべて包める可能性を垣間見たのである。

ネトウヨについて

 諸君等に此の「ネトウヨ」と云ふ言葉を知らぬ者はゐないだらう。寧ろ、ネトウヨと呼ばれてゐる者、我こそはネトウヨと豪語する者と、心當たりは尽きぬものである。

 こふは言うものの、はつきりとネトウヨを定義してゐるサイトは少ない。故に此処に駄文を書き連ねることとする。

 

 先ず、ネトウヨとは蔑称である、そして蔑称されるのに相応しい精神をしてゐる。これは大前提であらう。ネツト上の右翼と云ふのは言うまでもない。だから、ネトウヨを自称するのは「俺はヤンキーなんだぜ」と云ふ具合である、本気で使ふ者はゐない。また、対義語になるのは「パヨク」「ブサヨ」となる。(ネツト上のと云ふ意義は薄れるが)

 次に、ネトウヨとはどの様な者等であるかである。これは「厨二病」と云ふ言葉がそつくり當て嵌まると言えやう。これは別に厨二病ネトウヨと言いたひ訳ではない。また此処では厨二病の事は書かない。

 詰まる所、彼等は自己のアイデンテテェを渇望する余り愛国心に寂滅することのない火を灯すのである。此の、世界に誇るべき国の国民であると云うこと、またあったと云う隠された事實を開帳する行程が、自己のアイデンテテェを溢れむばかりに満たしてゐくのである。厨二病はこれに耐へられない。

 斯くしてネトウヨの卵は出来上がる。然し其処までなら蔑称が付く程のことではない、問題は此処からである。

 ネトウヨが蔑称たる所以は愛国心の在り方である。此の愛国心は自己のアイデンテテェを護る為のものであることが多い。だから、このアイデンテテェを護らむが為に、ありもしない事實をあると言つたり、事實を認めなかつたりするのである。 その醜さは蔑称を付けられるには十分な条件であらう。

 愛国心とは文字に通りに国を想ふ心である。七世報国などと重苦しいものである必要はないし、右翼でも左翼も良い。然しネトウヨは右翼こそ真なる愛国者である、左翼は売国奴に違ひない。と思考が停滞してゐる。思考の停滞は愛国者として重大な欠陥でる、気付ければ直ちに治すべきであらう。然しその眞實すら認めることのない頑固さが被蔑称者たる所以である。覚醒せよ。

 

 だいたいこんなところである。要はネトウヨと云うのは面倒臭さい頑固者のことである。とは言ふものの私自身この精神から脱しきれてはゐない。然し、諸君等も右翼左翼に限らずこの精神に心當たりが有るのではなからうか、偶には胸に手を當ててみては如何。

高田保著作集を買いました

 昨日の朝、アマゾンにて購入しました本が今日の朝に届きました。別にお急ぎ便にを使ったわけではありませんがこんなに早く来ると驚きますね。

これがその本です、まだ読んでいませんがもう包は剥がして少しペラペラとしました。

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 なんと初版で、しかも売上カードがまだ残っていました。おそらくこの本は消費者には初めて僕手に収まったようです。前に読んだ人がいるとしてもよっぽど丁寧に扱ったんでしょうね、売ることを前提にしていたのかもしれません。

 そもそも皆さんは高田保という人をご存知でしょうか? 名前だけ知っているという地域の人もいるかもしれません。それは何故かと言うと、この人の名前を冠した公園が湘南の奥地に存在するのです。名前はそのまま高田保公園、お墓もそこにあります。そして、そこにあるであろう立て札にはこう書いてあります。海の色は日ざしで変わる

 どうですかこの文言、初めて目にしたときには笑いそうになりました、フフっっていうオタク笑いです。ともかく高田保という人はこういう人だということです。この人は劇作家、また戦後は随筆家として一部界隈では有名だったそうです。あまり全国的有名人と言う訳ではありませんでした。そうであればその知名度は徳川夢声並だったはずです。どちらにせよ今の子にはわかりませんね、僕も知りませんでした、古書店に行ってみて初めて買った古本がこの人だったと言うだけです。

 僕が初めて買った高田保の本が吾輩も猫である、です。これは猫、という題で新大阪という雑誌? に掲載されたものです。作者が逝去し、これを刊行せんと言うときに絵師の人らが勝手にそういう題にしてしまったそうです、本にはそう書いてありました。この吾輩も猫であると言うのは漱石のように平常の鬱憤を猫として晴らすのではなく、猫として終戦間もない日本社会を観察するというものです。感想はとくに書きません、しかし読んでいてフムンとなったということだけ。

 吾輩も猫であるは後半がエッセイ集になっていてそれがまた僕を惹きつけました。そのせいでその古書店に数度行き、幾つかのエッセイ集を買いました。高田保はのエッセイはどこか冷めていて、しかし情があり、そして何より例えの引き出しが膨大です。すぐに、○○には、○○といへば、こういふことがある、あった、と言って故事やらを出してきます、しかもそれは東洋に限らない。含蓄に富んだ人と言うのは当にこういう人だと言う気分になります。またその過程で僕はこの人が劇作家と知りました。そして、どんな話を書いていたかを知るには高田保著作集を買うしかないとなったわけです。

 それが今回これを買うに至った経緯ですが、感想が出るようなことがあればまた何か書きます。

 

ちなみに今までの文章は高田保っぽさが出るように書いたのですが、出ていたでしょうか……